ウェブマガジン「いとでんわ」がスタートした。
主なコンテンツは4つ。
・インタビュー
・日替わりコラム
・今日のひと
・今日のノート
インタビューは2週間に一度くらいのペースで更新。それ以外は毎日18時に更新する。自分は「今日のひと」の担当だ。
「今日のひと」はこの夏のはじめ、実験的に短期間やっていたものの続きだ。毎日その日に関わった人の中で、一番「いい顔」してる人を撮らせてもらう。それが知り合いの日もあれば、町で見かけた全くの他人の時もある。誰も撮れなかった日は仕方ないから自分を撮る。
今日は3ヶ月ぶりくらいに町で声をかけて撮らせてもらった。駅前で赤い羽根の募金活動をしていたシルバー世代の3人。赤い羽根を見ると、ああ、もうそんな季節か、と思う。曼珠沙華やコスモスや金木犀のように、本格的な秋を知らせてくれる風物詩だ。
財布の小銭を募金し、写真を撮らせてもらいたいという気持ちを伝え、2枚シャッターをきる。ほんの数分間のやりとり。たぶんカメラを手にしてなかったら視界に入っても意識することのなかった人と、別れるときには笑顔になって会釈しあう。家に帰るとちょっと懐かしいような気持ちになって、その数分間のやりとりを思い出しながら何度も写真を見る。
「カメラは通行許可証のようなものだ」と、ある写真家は言ったけど、本当にその通りだと思う。カメラを口実に誰かに話しかけることができ、その行為を糸口に世界とつながることができる。
今回立ち上げた「いとでんわ」も世界とつながる通行許可書だ。これを口実に興味ある人に話しを聞くことができるし、相手のことを知ることができる。そしてそれを会ったこともないたくさんの人に知ってもらえる。
まだなんとかスタートさせただけで、デザインも機能もこれから整備していかなくちゃいけないことがたくさんあるけど、いい「場」ができたと思う。ここで何ができるか。何が生まれるか。ひさしぶりにワクワクしている。
20111014
手術はとりあえず問題なかった、という連絡が弟からはいった。
しばらく実家に帰らない間に、母親は癌に冒されていた。
知らせを受けたのは先月。ちょっとくらいの病気では連絡してくるような人ではないから、これはただ事ではないと思った。身辺整理を始めているようなことも言っていた。
親のことや家のことは全て捨てて東京にでてきているつもりだった。前回帰ったときには家族会議が開かれ、母親が死んだら一切の相続は放棄することを伝えたし、家長は弟にする、ということも確認した。
去年、折に触れ父親がわりをしてくれていた叔父さんが亡くなった時も、連絡がきたのは通夜の数時間前だった。とっくに家を捨てているし、親からも縁を切られているはずだった。
16年前に甲状腺の腫瘍を取り除いた時も、見舞いに行かなかった。当時、小さなカフェを任されていたので、忙しくて店を離れられない、というのが自分に対する言い訳だった。
子供のころは、母親のことが大好きだった。美しい人だった。保護者参観日は誇らしかった。料理のうまい人だった。花が好きな人だった。
思春期を迎えるころから、努めて距離をおくようにしていた。父親を早くに失ったので、気を抜くと依存しあう関係になりそうで怖かった。はじめはほんの少しの距離が、気がついた時には埋めようのない深い溝になっていた。
18で家を出てからは、めったに帰らなかった。東京にでてきてからは数年に一度だ。会う度に老けていく姿を見たくはなかったし、引越しを重ね、自分が暮らしたことのない家に泊まるのも嫌だった。掃除が行き届いてない汚れた部屋を見るのも耐えられなかった。仕事の忙しさや慢性的な体調不良のせいか、丁寧に家事をするひとだったのに。
つまりはマザコンなのだ。母親の事が好きだから、近づきたくなかったのだ。あの美しかった人が老いて死の匂いをまとうのを見たくなかった。そしてそれが今、後悔と罪悪感となってのしかかっている。
ここ一週間は何も手につかなかった。イライラしてまわりに不快な想いもさせた。こんなことなら会いにいけばよかった。
もう麻酔から覚めているだろうか。どんな気持ちでこの朝を迎えているだろうか。