仕事で「おじいちゃん」を撮らせてもらった。
お孫さんからの誕生日プレゼントとしての写真。ご自宅での撮影。
いくつくらいだろうか。腰は曲って足も弱っている様子だった。意識もちょっとぼんやりしていることが多い、という話も聞いていた。考えてみればこの年代の人をきちんと撮るのは初めてで、どうやって撮影をすすめたらいいか、直前まですこしナーバスになっていた。
人物撮影の際、よく喋るカメラマンと無口なカメラマンがいる。自分は前者、会話をしながら撮影をする。相手はプロのモデルではないから、レンズを向けられると緊張するし、どんな表情やポーズをとっていいのか分からないはず。その緊張をほぐすためにも会話をしながらその人の一番いい表情を探していく。お互いに心を相手に預けないと、いい写真は撮れないと思っている。
でも、「おじいちゃん」にはその作戦が使えなかった。おしゃべりをするような空気ではなく、ニコリともしない。困ったな、と思いながらファインダーを覗いてシャッターをきる。何枚か撮ったけど、笑顔はでない。
あ、そうか、撮られたいのは笑顔じゃないのかもしれない。途中で気がついて、それからは静かに淡々と撮影をすすめた。奥さんとのツーショットと子供や孫との家族写真を含めて、15枚くらい。仕事写真としてはちょっと不安になるくらいの少ない枚数。でも、「おじいちゃん」の集中力が限界にきているのが伝わってきたから無理にひっぱるのはやめにした。
家に帰ってすぐにチェックしてみた。いい顔だった。結局、カメラテストの一枚目と、撮影後にこっそり撮ったスナップショットが一番よかった。「威厳」という言葉をひさしぶりに感じた。
ポートレートばかり撮っていると、つい笑顔を撮りたくなる。どんな人でも笑顔は魅力的だしフォトジェニックだから。調子に乗ってるときは、その人自身も知らない良さを自分が発見してやろう、なんて醜い欲がでることもある。でもそうじゃないんだな。むやみに笑顔を演出するのもダメなんだ。まして「本質」を暴くなんてこの上なく失礼な行為だし、ありのままを記録するだけでも足らないんだ。その人が残しておきたい自分の姿を表現しているのなら、それが仮にファンタジーであっても、最大限その気持に寄り添うことが大切なのかもしれない。
また大好きな写真が一枚増えた。
「おじいちゃん」のお許しがでたので、ここにアップさせてもらう。

20111222
またぶっ倒れてしまった。
毎年2・3回やってくる。
頭蓋骨が割れるような激しい頭痛、ありったけの防寒着を着て寝袋を2つ重ねてくるまっても止まらない悪寒、グラグラとめまい、何も食べ物をうけつけない吐き気、絞めつける心臓の痛み。
コレが始まるとどうにもしようがない。ちょっとくらいの体調不良は時々あるけど、いつも気合で吹き飛ばす。でも、コレには太刀打ち出来ない。頭から寝袋をかぶったままケータイで約束をキャンセルして、ただひたすら痛みに耐え、震えながら回復を待つしかない。
基本的に病院には行かないことにしている。肌が弱いので定期的に皮膚科には行く。春が近づくとアレルギー専門の耳鼻科に行く。食事はおいしくしたいので歯医者にも行く。それ以外は行かない。行っても意味が無い。
体は丈夫ではないが弱い方でもないと思う。平均的な36歳よりも筋力・体力が劣っているとは思わないし、風邪もあまりひかない。でも、子供の頃からわりと重い症状で病院にかかったことが何度もある。一度も原因がはっきりわかったことがない。
小学生の頃はよくお腹が痛かった。あちこちの病院に行って下された診断は、胃拡張、胃下垂(病名か?)、胃潰瘍・十二指腸潰瘍の疑い。インドで病気になって車椅子で帰ってきた時も、けっきょく原因はわからずじまいだった。脾臓肥大・重度の肝機能障害・腹水・視神経炎。全身ボロボロで、医者も考えられるすべての検査はやった、と言っていたが原因は分からなかった。下腹の激痛で病院に行った時はクローン病の疑いということで緊急手術までやったけど、けっきょくそれも原因不明。安静以外に、具体的な治療を受けたことがない。
つまり、医学はそれほどまだ病気を解明していないのだ。医者を責めるつもりはない。しかたのないことだと思う。医学に過大な期待を抱くほうがおかしいのかもしれない。だから調子が悪くなって病院に行ったところで、やたらと検査ばかりされて財布がさみしくなるだけで、べつに治してくれるわけじゃない。これは一般的にはどうか知らないけど、個人的な経験則だ。
体調が悪くなると2つの相反することを同時に考える。こうして体を壊さないように、あまりがんばりすぎないようにしないといけないな、ということと、いつ体が壊れるかわからないから体が動くうちは全力でがんばらなければいけないな、ということ。バカだな、と思うけど、明日からやっぱり後者を選ぶんだろう。これも経験則。