20101119

目が覚めてボンヤリした頭のままで、燃えるゴミを捨てるために外へでた。鼻の奥がツンとする。冬の匂いだ。空の色が薄い。掃除をしていた大家さんに挨拶をする。大家さんはいつも穏やかな笑顔だ。

きのう買っておいたチョコパンをカジりながらツイッターのタイムラインをぼんやり眺める。みんなも起き出したようだ。後ろでゴソゴソ音がする。ムジャも起きた。部屋の隅で目覚めのオシッコをしている。そこはトイレじゃないよ。

軽くシャワーを浴びる。やっと頭が動き始める。布団を畳んで、ゆうべウイスキーを飲んだロックグラスとパン皿を洗う。ムジャの家を掃除して水を入れ替えてやる。スーツに着替えて仕事道具の確認、よし。ムジャに「いってきます」のハグ、ムジャから「いってらっしゃい」のキック。

天気がいいし今日の現場はそう遠くないから、自転車で通勤することにする。一定の速度でペダルを踏む。体の火照りと風の冷たさのバランスがいい。一瞬、花の香りがした。あの花の名前、なんだっけ。

仕事場につく。この仕事は始めてまだ一年くらい。たいして役に立てないから、せめて誰よりも動く、誰よりもアンテナをはる。自分と同年代の男性の葬儀だった。遺族の悲しみが強い。喪主はまだ若い夫人。たくさんの会葬者に挨拶をしてまわっている。仕事をしながら感情をコントロールすることが難しい。

残業を30分して朝と同じ道を自転車で帰る。月が高い。そろそろマフラーが欲しい。スーパーによってヨーグルトと卵とチョコレートと蕎麦とバナナを買う。会計は1000円ちょっと。クレジットカードで払う。

帰宅。ムジャを起こさないようにそっと部屋にはいる。スーツをハンガーにかけ、スーパーで買ったものを棚や冷凍庫へおさめる。熱めにいれた風呂にゆっくりとつかる。しっかり暖まってからワイシャツを手洗いする。襟と袖口の汚れがとれにくい。

風呂上がりにソーダを少しいれたウォッカのロックを飲む。肌が乾燥してかゆい。ワセリンをペタペタ塗る。二杯目のウォッカのロックを持ってムジャのいる部屋へ。起きていた。暗闇からジッとこっちを見ている。ゲージの戸をあけると飛び出してきて遊びの催促。仰向けにして脇をくすぐってやる。クククッ、と鳴く。寒くなってきてからムジャが元気だ。

パソコンを立ち上げニュースをチェックする。人身事故があったり、殺人の判決がでたり、政治家が何かをごまかしたり。今日もいつもどおりの一日だったらしい。グーグルリーダーを開く。いくつかのブログが更新されている。最近知り合った人の日記がおもしろい。淡々と日常のことを綴ってある。こういう日記が書けるようになりたい。今度この人をコーヒーにでも誘ってみよう。

ツイッターのタイムラインを眺める。誰かがust配信を始めたようだ。「だだ漏れ」が結局一番おもしろい気がする。ustがもっと流行ってみんな「だだ漏れ」やればいいのに。

やらなくちゃいけない事をおもいだした。Line展まであとわずか。事務的なことはできるだけ早いうちにやっつけよう。メール着信、古い友達が結婚するらしい。パーティは広島。行けるかな、みんなに会いたいな。

ムジャが足をひっかく。「もう寝ようよ」と言っている。残りの作業は明日にまわそうか。もう眠いな。グラスに残ったウォッカを飲み干す。

たとえばこんな一日。

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20101028

台風が近づいている。
10月もそろそろ終わろうかという頃に台風が来るなんて、やっぱり今年の気候はおかしくて調子が狂ってしまう。

ある葬儀屋さんから聞いた話だけど、台風が来ると死者が増えるらしい。台風の強風や豪雨といった直接の影響ではなく、長年患っている人や高齢の人が台風の接近を機に息を引き取るのだそうだ。気圧の急激な変化が関係しているのかもしれない。

他によく言われるのが急に寒くなると葬儀屋は忙しくなる、ということ。これもよく考えてみると不思議だ。もちろん温度の変化で血管や心臓系のトラブルが増えて急死する人が増えるのだろうけど、その他にも長く入院している人もたくさん亡くなるらしい。病院の中は温度や湿度が年間を通して一定しているはずで、外気温の変化はあまり関係ないはずだ。それでも寒くなると入院患者が多く亡くなる。

やはり人間も自然の一部なんだろう。春には花が咲き、秋には葉が落ちる。なにか目に見えない力に押されたり引っ張られたりしながら生きている。

今日は冬のような寒さだった。
来週はきっと忙しくなる。

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20101012

小田急線に乗って仕事場へ向かう途中、少し離れた座席から大きなバッグを持った汚れた身なりをした中年の男性が立ち上がった。白髪まじりで頬のこけたその男性は、ゆっくりと向かいの席に座っている婦人に近づいて手に持った何かを見せた。婦人は目をそらして首を振った。男性はその婦人の数席離れて座っていた老人に、また同じように何かを見せた。今度は自分がいたところからその何かが見えた。ハガキ大に切ったダンボール紙に大きな字で、「生活費のために千円ください」というような事が書かれてあった。見せられた老人は眉をひそめて首を振った。その光景を見ていた他の乗客がヒソヒソと話をして小さく笑った。3人に断れられたその男性は、また元の席に戻って座った。仕事場の最寄り駅に着いたので気になりながら電車を降りた。

いいものを見た、と思った。食を乞う、という意味でその男性は正しく乞食だ。積極的な乞食だ。東京にはホームレスはたくさんいるが、乞食を見かけることはめったにない。いたとしても、道路脇に正座をして空き缶を前に置いて額を地面にこすりつけていたりする。無視して通りすぎるのも幾らかのお金を渡すのも、なにか悪いことをしてしまったような気持ちがして後味が悪い。他の国の乞食はもっと堂々としている。まっすぐに手を伸ばしてきて、それが当然の権利であるかのように胸をはってお金を要求してくる。断るとケロリとまた他の獲物を探す。憐れみを誘うような表情の乞食もいるが、過剰な演技が見え見えで、かえって清々しかったりする。こっちも気が向けばいくらかの金や食べ物を渡すし、気が向かなければ軽い挨拶をして通りすぎる。関係が分かりやすい。

自分ならどうするだろう。住むところを失い所持金も底を着いたとき、残飯をあさるのだろうか。親戚や知り合いに頭を下げてまわるだろうか。たぶんそんなことはできない。飢え死にとプライドを天秤にかけたら、きっと飢え死にを選ぶと思う。いや、その前に早い段階で犯罪に手を染めると思う。ひったくりか、泥棒か、詐欺か。自分が死ぬくらいなら他人のものを奪う。

犯罪というイージーな解決方法を選ばず、残飯をあさることもせず、堂々と(そう見えた)他人にお金を要求したその男性の姿が、托鉢僧のようにもみえた。千円という金額もいい。100円や200円では、一日を過ごすことはできない。安い牛丼だって250円だし、銭湯に行けば450円だ。野宿をしたって一日1000円くらいは必要な町なのだ。必要な金額を率直に要求できるのは凄い。

欲しいものがあれば欲しいと声をあげること。断られても卑屈にならないこと。欲しいものを与えられても喜ばないこと。そんな境地に到達することができたら、どんなに生きるのが楽になるだろう。きっとあの男性の日々は決して楽なものじゃないのだろうけど、すごくカッコよくみえた。もし次に会ったら、ゆっくり話を聞いてみたい。

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