20100907

Line展の本展示まであと四ヶ月と少しになった。そろそろイメージを具体的にして作業を進める時だ。日曜のミーティングでは、コンセプトを煮詰めて近いうちに文章化しようということを決めた。

そもそも「Line」というキーワードは、二人の写真の最大公約数的な要素を表し、且つ広がりのある言葉を探した結果出会ったものだ。それをもう一度バラバラに分解し見つめ直して再構築する作業が必要になってきた。

ミーティングではプレスリリース用にコンセプトを文章化しよう、と決めたのだけど、実はこの事に少し躊躇していた。というのは、このプロジェクトの相方である朝弘さんの今の写真はコンセプトの世界から少し遠いところにあり、そこに近づくことはある種のトレードオフで、得るために何かを失わなければいけないかもしれないからだ。

自分の写真スタイルは撮影前に時間をかけてコンセプトを練り上げ、必要であれば資料をかき集めたり機材を新しくして準備万端で挑む。まずコンセプトありきの写真だ。一方朝弘さんの写真は感覚に頼って撮っている。セレクトの段階でテーマを構築したりはするけれど、基本的には感性の写真だ。

自分も写真を始めたときからコンセプト写真を撮っていたわけではなかった。目にとまった気になる物へレンズを向けてシャッターを押し続けていた。それが路上で人に声をかけてポートレートを撮らせてもらうようになってから徐々にスタイルがかわっていった。

「あなたの写真を撮らせてください」と声をかけると、応えてくれる多くの人が「なぜですか?」と聞いてくる。「なんとなくあなたの事が気になったから」では許してくれない。そこにもっともらしい理由が必要になってくる。それにポートレートは撮り直しがきかないから、機材を揃えてテストを繰り返してからでないと撮影に挑めない。綿密な下準備が必要になってくる。感覚だけでは路上のポートレートは撮れない。

いったん「コンセプトの写真」を撮り始めると、なかなか「感覚の写真」には戻れない。写真においての「コンセプト」は、いわば言語のようなもので、身につけたが最後もう捨てることはできない。言葉の枠内でしか感じることが難しくなる。

朝弘さんの写真の魅力は言葉を持たないところにある。赤ちゃんの生命力の魅力だ。それでいて詩的で叙情的だ。初めて彼女の写真を見たときに、踊っているような写真だ、と感じたことを憶えている。彼女がダンサーだと知る前だ。感性の赴くままにシャッターをきっている写真の気持ちよさが、懐かしくて羨ましかった。

でも、いつまでも赤ん坊ではいられないように、そろそろ次のステップへ進む時がきたらしい。こう書いていると我ながらずいぶんと偉そうで写真の事をさも分かった風で嫌だけれど、でもやっぱりそうなのだと思う。写真を自己愛撫や小さなコミュニティー内での褒め合いツールではなく、ひとつの表現手段に昇華させるためには通らざるをえない道だ。

コンセプト、というとなにやら頭でっかちなイメージを持たれるけど、写真を撮る必然性、撮った写真を他人に見せる必然性を明確にする、という事だ。その人にとってのっぴきならない切実な問題を正面から深く見つめ、それを適切な技術に乗せる事ができた写真だけが、人の心に届くのだと思う。

コンセプトばかりでなく、基本的な写真技術も彼女は身につけようとしている。ジャズピアニストがひたすらスケールを鳴らしサックス奏者がロングトーンを繰り返し吹き続けるように、タップダンサーが単調なステップを踏み続けるように、写真家もベーッシックなトレーニングや勉強を積まなければいけない時期がある。もちろん自分もまだその段階なのだけど、朝弘さんはまだスタートを切ったばかりすぎて、ちょっとくらいの練習では成果が写真に現れてこない。この段階で写真をやめてしまう人も多い。

技術は既存のフォーマットを身につけるためではなく、無意識に刷り込まれてしまったフォーマットから自由になるために獲得しなければならない。彼女にはもっとカメラを身体化し、彼女の踊りのように写真を扱えるようになって欲しい。

Line展の本展示にその成果がどれくらい現れるかどうかはわからない。でも、彼女の写真が次のステージへ上がるのが楽しみでならない。

→ Line展ブログ

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