最近動画に興味がある。見る方じゃなくて撮る方。
別に写真からムービーへ表現手段を移行させようというつもりは無くて、あくまでメインは写真。だけど、手法や道具によって表現できる内容が違ってくるので写真では出来ない何かを動画に求めている。
写真・文章・動画・歌・踊り、etc… それぞれ得手不得手がある。たとえば写真では「叫び」という感情は伝えにくい。いや、そもそも感情を伝えるには写真は不向きなメディアなのかもしれない。それから当り前だけど音も伝えることができない。鑑賞者の想像力に頼るしかない。もちろんその不自由さのおかげで余計なノイズがフィルタリングされて、核になる情報が鮮明になるのが写真のいいところなのだけど。
自分が一番自由に扱えるのは喋り言葉だ。相手の表情を見ながら臨機応変に内容をチューニングしていくのは他の方法に比べてストレスが少い。でもこの方法は基本的には一対一、多くても一対三人くらいにしか有効ではない。たくさんの人に何かを伝えには他の手段が必要になる。
喋り言葉に比べて、このブログのような書き言葉は少し苦手だ。だけどアーカイブされていつでも何度でも読めるので便利だし、込みいった内容のことも伝えやすい。でも臨場感や熱量を伝えることが難しい。まぁ、これは自分の文章力の無さの問題。
そこで動画に興味が湧いてきている。音や動きをアーカイブする方法は今のところ動画を撮るのが一番だ。幸い今のデジカメのほとんどには動画撮影機能がついている。二年前に買ったコンパクトデジカメにも簡単な録画機能がついていたので、半月前くらいからテストを繰りかえしている。
これがなかなか難しい。カメラに向って何かを喋るというのがこんなに難しいものだとは思わなかった。いや、正確に言うと誰もいないところで一人カメラに向って何かを喋るというのが難しい。撮影者なりインタビュアーがいればそれほどではないのだろうけど、独り言を喋っているようでどうにも気恥ずかしい。
街を歩きながら風景を撮ったりもしてるのだけど、これもうまくいかない。ただ漫然と撮っても全然面白くない。でも面白くしようと思った途端に作為が鼻につくような映像になってしまう。写真を始めたばかりの時を思いだす。あの頃と同じ感覚だ。作為や自意識との戦い。
あまり難しく考えずに、どんどん撮ってどんどん公開しているうちに自分のスタイルができてくるのかもしれない。そう自分に言いきかせるのだけど、撮った動画を確認のために見返すとやっぱり公開をためらってしまう。もう少しマシになってからじゃないと恥しいな、と。やっぱり自意識が邪魔をする。
まだ動画で何が出来るのかは分らない。でも新しい手段を手にすることによって引きだされる、自分の知らない自分に出会えるのでは、と期待している。
20090927
最近動画に興味がある。見る方じゃなくて撮る方。
別に写真からムービーへ表現手段を移行させようというつもりは無くて、あくまでメインは写真。だけど、手法や道具によって表現できる内容が違ってくるので写真では出来ない何かを動画に求めている。
写真・文章・動画・歌・踊り、etc…
それぞれ得手不得手がある。たとえば写真では「叫び」という感情は伝えにくい。いや、そもそも感情を伝えるには写真は不向きなメディアなのかもしれない。それから当り前だけど音も伝えることができない。鑑賞者の想像力に頼るしかない。もちろんその不自由さのおかげで余計なノイズがフィルタリングされて、核になる情報が鮮明になるのが写真のいいところなのだけど。
自分が一番自由に扱えるのは喋り言葉だ。相手の表情を見ながら臨機応変に内容をチューニングしていくのは他の方法に比べてストレスが少い。でもこの方法は基本的には一対一、多くても一対三人くらいにしか有効ではない。たくさんの人に何かを伝えには他の手段が必要になる。
喋り言葉に比べて、このブログのような書き言葉は少し苦手だ。だけどアーカイブされていつでも何度でも読めるので便利だし、込みいった内容のことも伝えやすい。でも臨場感や熱量を伝えることが難しい。まぁ、これは自分の文章力の無さの問題。
そこで動画に興味が湧いてきている。音や動きをアーカイブする方法は今のところ動画を撮るのが一番だ。幸い今のデジカメのほとんどには動画撮影機能がついている。二年前に買ったコンパクトデジカメにも簡単な録画機能がついていたので、半月前くらいからテストを繰りかえしている。
これがなかなか難しい。カメラに向って何かを喋るというのがこんなに難しいものだとは思わなかった。いや、正確に言うと誰もいないところで一人カメラに向って何かを喋るというのが難しい。撮影者なりインタビュアーがいればそれほどではないのだろうけど、独り言を喋っているようでどうにも気恥ずかしい。
街を歩きながら風景を撮ったりもしてるのだけど、これもうまくいかない。ただ漫然と撮っても全然面白くない。でも面白くしようと思った途端に作為が鼻につくような映像になってしまう。写真を始めたばかりの時を思いだす。あの頃と同じ感覚だ。作為や自意識との戦い。
あまり難しく考えずに、どんどん撮ってどんどん公開しているうちに自分のスタイルができてくるのかもしれない。そう自分に言いきかせるのだけど、撮った動画を確認のために見返すとやっぱり公開をためらってしまう。もう少しマシになってからじゃないと恥しいな、と。やっぱり自意識が邪魔をする。
まだ動画で何が出来るのかは分らない。でも新しい手段を手にすることによって引きだされる、自分の知らない自分に出会えるのでは、と期待している。